天気を楽しむおしゃれ。気分をあげてくれる雨の日のワンピース

雨の日に見つけたピンク色の花

「雨の日、どんなふうにテンションあげている?」
そんな会話から、クローゼットで眠っている”雨の日専用ワンピース”を思い出しました。それは私が勝手に”雨の日専用”と決めているだけの、高価でも珍しくもない、普通のワンピース。そんなワンピースと久しぶりに向き合ったお話です。

雨の日のおしゃれコーデはひっそり楽しむカタツムリの刺繍

“雨の日専用”になったのは、なんでもない日のちょっとした発見から。ある日なんとなく手に取ったこのワンピースをよくよく見てみると、襟元にカタツムリの刺繍を発見。デニム生地にブルーの糸で施された刺繍の、その時まで気が付かなかった、遠くからはわからないほどの控え目な主張に、胸がときめいたのを覚えています。
そのワンピースを雨の日に着てみると、デニムの藍の落ち着いた感じやカタツムリの刺繍が、しとしとと降る雨にちょうどよく馴染んでいる感じがしました。一着のワンピースを通して、まるで自分が自然の中に溶け込んでいくような一体感が嬉しかったのです。またワンピースだから一枚でさらっと着れて、コーデを悩まないで済むのもいいところ。
それ以来、雨の日は決まってこのワンピースを着るように。雨が降る暗い日でも、気分をあげてくれるお守りのような存在になっていました。

ワンピースのかたつむりの刺繍

忘れていたワンピースと再会して気が付いたこと

そんなワンピースですが、今年は梅雨の時期になっても出番がありませんでした。どういうわけか、その存在を忘れてしまっていたのです。
思い出したのは、友人との「雨の日どうやって気分をあげている?」という会話がきっかけ。
お気に入りのはずのワンピースを忘れていたことに自分でも少し驚いて、久しぶりにクローゼットから取り出してみました。
「やっぱりかわいいなぁ」
一人で自画自賛しながら、ワンピースを眺めます。
気が付けばもう5年以上の付き合いになるワンピース。私の服の中では立派なベテラン選手です。服の趣味も随分変わってきたけど、昔と変わらず愛着を持てるのは、自分の感情と密接に結びついているからでしょう。ひさしぶりに目にした落ち着いたデニムの風合いと控え目なカタツムリの刺繍が、雨に融合していくあの心地よさを思い出させてくれました。

夕日と雨に濡れた道路

雨の日ワンピースを忘れてしまっていた理由。
きっと、それは雨の日を楽しむという感覚が薄くなっていたからなのかもしれません。

小さな頃は長靴を履いて傘をさして歩くのが楽しくて雨が好きな日もあれば、遠足の前日はてるてる坊主をいっぱい作ってお祈りするほど晴れを求め雨を嫌に思う日もあったなぁと思います。
天気を自分の人生の一部分と捉えて一喜一憂しながら暮らしていたような、そんな気がします。

それが大人になると、知らないうちに天気との間に距離が生まれていたのでしょう。「雨は嫌だけど、落ち込むのはよくないこと」なんて自分に言い聞かせながらリフレッシュの方法を模索して、自分の本当の気持ちに寄り添うことを忘れてしまっていました。特に今年は外出自粛が求められ家に籠ることも多くなったぶん、雨とか晴れとか天気と向き合うこともなくて、じわじわと雨の日を楽しむ心の余裕がなくなっていたようです。

それでも久しぶりに雨の日ワンピースに触れてみると、小さいころ雨に対して抱いたワクワクした気持ちに似たものがこみ上げてきました。
雨の日を待ち遠しく思ったり残念だなぁと思ったり、自然体な気持ちで向き合うことが心地良いなんて…。

 

こどもの頃のように自然体。天気を楽しみながら春夏秋冬を迎える

大人だからって、常にニコニコご機嫌でいる必要はなくて。むしろ、本当の気持ちに気が付くことが大切なのかもしれない。
そう思うようになって、天気予報でずらりと並んでいる雨マークを見て反射的に嫌だなぁと思うことが少なくなりました。(もちろん晴れマークはなんだか嬉しいし、夏が待ち遠しくもあるけど。)
天気をそのときの自分を形成する要素のひとつだとすると、春夏秋冬・毎日の異なる空模様が、人生という物語の一ページのような掛け替えのない存在に思えてきます。

その日その日の天気と自分の気持ちに向き合ってみれば、自然体なちょうどいい暮らしができるかも。もう大人だけど、こどもみたく雨の日を楽しむのも悪くないな。

梅雨の季節は雨の日専用ワンピースをお供に楽しもう。そして夏や秋、新しい季節が訪れるたびに、自分の気分をあげてくれる、ちょっとしたおしゃれを楽しんでいきたいです。

 

雨の日専用ワンピース