山に魅せられた、初めての一人登山。山登り趣味の初心者紀行1
1年と半年ほど前に山登り、登山をしました。まだ登山が趣味でもなく、初心者ですらなかったころの話です。
登った山は正確には覚えておらず逗子や葉山のあたりだった気がします。それまで登山や山登りと言えば高尾山ぐらいで、舗装道を歩きながらお喋りしていたらいつの間にか頂上に着いたという感じです。
それ以来山登り、登山をしたことはありませんでした。もちろん知人に登山が趣味の人も、初心者もいませんでした。
しかしとある日、何の準備もせず普段着のまま山登り、登山をしました。今思うと飲料も持たずに登るなんて何て馬鹿で危険なことをしているんだと思いますが、その時には登らずにはいられなかったのです。
目に山が入って登ってみたいと思ったから登った。ただそれだけなのです。特に目的もないまま電車に揺られていたら、逗子についており、気づけば目の前に山があり、登ろうと思ってみたとしか言えないのです。
登山を早速後悔。何で山登りなんかしているんだろう。
そんなこんなで山登り、登山をしようと思い山に入るのですが、途中で登ったことを後悔し始めました。
「何でこんなにキツイことしようと思ったんだろう、何で俺ここにいるんだっけ、もう引き返そうかな、今ならまだ辞めても間に合うよな」という思考を永遠と繰り返していました。
そんな中で僅かな小さい声が聞こえてきます。
「いや今辞めるぐらいならやるんじゃないよ、最後までやりきれ、もし辞めたら負けだ、もう二度と登り切れないぞ、永遠に後悔するぞ、意味なんてなくてもやるんだ。」
少しずつ産まれた声が、波が押し寄せるようにどんどん、どんどんと大きくなっていきます。
「辞めるな、絶対に辞めるな、辞めたら終わりだと思え、最後までやり切れ、負けるな勝て、ここでやらなきゃいつやるんだ。」
その時に山登り、登山をした山はあまり高くもなく多少体力のある人や登山が趣味の初心者なら簡単に登れる山だったのでしょうが、その時の自分にとってはとてつもなく高く険しく苦しい山だったのです。
また山登り、登山を一人でしたのが初めてだったということもあるのでしょう、圧倒的に押し寄せてくる苦しさや辛さに耐えられなくなりそうでした。
そうこうしているといつの間にか頂上に近いところにおり、そこから眺める景色は見事なものでした。
その時だけは苦しみはどこか遠い場所に飛んでいき、ただ生きていることだけを実感したのです。
山登りで得られたもの。登山初心者が登りきった時の気持ち
「あともう一踏ん張りだ。」そう言って、心と体を奮い立たせて登り切った時の気持ちよさは、ありませんでした。無かったのかよと、どこからか聞こえてきますが、登り切った気持ちよさは多少はありました。
頂上で聞こえる小鳥の鳴き声と木漏れ日はとても気持ちの良いものでした。しかし、それ以上に苦しかったため、気持ちよさのピークは登りきる手前の景色を見ていたときでしょう。
登りきる前には、きっと頂上に着いたら何か変わるに違いないと思っていました。きっと素晴らしい景色を見れるぞ、気持ちいいに決まっているはずだ、だから頂上につけば何か変わるに違いない。
それらの素晴らしい景色や気持ちよさというのはもちろんありました。ありましたが、私が登り切った後にそれ以上に感じたのは、登るなかで産まれた苦しみと達成してやるという気持ちとのせめぎ合いや葛藤、あと少しで頂上だ、という過程そのものだったのです。
頂上につけば何か変わるに違いないと思っていた考えは間違っているとも合っているとも言えません。何故ならば私が求めていた山を登りきることで何か変わるはずという想いとは裏腹に、その過程で感じたことが、何よりも自分を変えていたからです。
その日以降、山登りが趣味となり。登山の初心者となった。
それに気づいたとき、自分の人生に似ているなと感じました。確かに頂上に登り切った時は景色もきれいで、空気も美味しい。けれど、その過程で得られた経験が何よりも自分を強くしていたのです。
そう思った瞬間に、私は山を降りようと思いました。頂上には15分もいませんでした。私が本当に欲しいものは頂上ではなく、そこに登りきるまでの過程だったのですから。
<続く>
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