ゴールデン街で文壇生活とカメラマンの暮らしを丁寧に考えた

今日は丸ノ内線を乗り過ごす。

新宿三丁目で降りて、副都心線のホームを歩いてE1の出口を出るまで複雑な地下道を歩きます。

自分はいつも地下道を通るたびに、大きな生き物の胎内で迷路をさせられている気持ちになります。そしてきれいに舗装されたこの地下道の壁の向こうには、きっとコンクリートで封印され誰の目にも触れなくなった道もあるのだろうと、そんな想像をするのです。

銀座線は戦前からあったと言いますから、うちいくつかは掘ったまま、何かの拍子に忘れ去られてしまった穴もあるいはあるのではないでしょうか。自分はそういう想像をするとき、この自分が歩く人気の少ない地下道がもしやこのまま自分を懐いたまま、忘れ去られて人々の記憶から消えてしまうのではないかという、そんな妄想にとらわれるのでした。

地下道を抜け、向かうのは新宿

E1の出口は新宿区保健所の真裏に出るように作られていました。コロナウイルスの検査場へ案内する赤い矢印にしたがって歩くとゴールデン街の一番街が見えてきます。幾度となく通った道ではありますが、コロナの影響で外国人の往来がなくなった町はほとんど新宿らしくなく、どこかの地方都市のよう。

もしかしたらこれのほうが、2・30年前の新宿の姿なのかもしれません。外国人というのもそんなにいなかったのでしょう。

今日向かおうとしていた店は、以前から気になっていたバー。

店中にたくさんの酒を並べ立てさらにそれをとり囲むように常連らがとぐろを巻いている。そんなものがいわゆるゴールデン街の普通ですが、今日行きたい店はとくに、編集者やものかきが集うと言うもの。かねてから行って見たかったのです。

非日常と生活感が入り混じる独特な街

これといって場所も調べてはいかなかったので(覚えていてもあの込み入った算盤目の街では、特にこれといって意味もないでしょう)その街のプレハブみたいな店舗と店舗の間を通り抜けて探します。

時折、目線の高さに口を開けている換気扇から店舗の中を覗き込むと、温かいオレンジ色の光と、古くて鬱屈した空間が浮かんで見えます。店で飲んでいる客と店員、そのどちらがもてなす側とも思えない楽しそうな様子が、私のいる通路をひどく寒々しく見せるのです。

その代わり表のどの店も、扉をあけ放っているから店の中身がよく見えます。ゆっくりと通りの真ん中を歩きながら頭を振り子のようにして右へ左をと目線をやって居ると、2,3通りを過ぎたあたりでどの店も同じように見えてきてしまいました。

6、7人も入れば定員オーバー、といった店がこのご時世にこんなにもたくさん軒を連ねられるという事は、並大抵のことではありません。お互いの店がお互いのことを必要としあっている、そういう証なのかもしれない。そんなことを考えながら、ちょっと立ち止まって地図と看板を見比べていると、へべれけの親父に声をかけられました。

ゴールデン街で店探し

“どこかお探しかな”

混然一体としたこの地域では店を迷っている人間には誰彼構わず声をかけなくてはならないという決まりでもあるのでしょう。

“あの、本が。本がたくさんある店があったと思うのですが―。”

私がそう濁しながらいうと

“若い人が好きそうな本はないかもしれないが、いいかな” そう言って道を縫っていきます。

“ここだよ、ほら―。”

確かにいつか見た風景と一致しているような。いくつかの目がこっちをじろと覗いています。

バーテンは写真家として暮らしを立てている

「ラフラ・・ラフロイグですね?」

今日がはじめての店番というバーテンはハイボールの作り方を確認しながら作っています。この店は曜日替わりのバーテンが店を見るのだそう。

 店に立っているのは、写真家でものかき。ちょうど、彼女が寄稿したという月刊誌の見本誌を編集者が寄贈しに来ていたので見せて貰いました。

11月号のテーマは「恋の、答え。」各人の恋愛観から人生観まで。様々な割り切り、愛憎、エピソードが列挙された紙面に思わず話題がはずみます。

バーテンの寄稿に並んで紹介されていたのは、石川啄木のローマ字日記。

「Setsu-ko dake wo aishita no de wa nai ga, mottomo aishita no wa yahari Setsu-ko da. Ima mo----koto ni kono-goro Yo wa shi-kiri ni Setsu-ko wo omô koto ga ôi.」

(節子だけを愛したのではないが、最も愛したのはやはり節子だ。今も-ことに、この頃、余はしきりに節子を思うことが多い)*節子は妻」(啄木23歳の5月)。

啄木は節子に読まれないようにローマ字で日記を書いたが、教養がある彼女には易く読めたといい、啄木は晩節、燃やすように、と言いつけたが、節子は”愛着があった”と言って燃やさなかったから、今我々が読めている・・・。

 

そんな話のついでにこちらも話を打ち明けます。

ライターでどんなものを書いたものか試行錯誤していること

もっと文章がうまくなる方法を探していること

自分の書いた文章が誰かに届いてほしいこと―

 

生活について文章を書くことについて

“そりゃーもう好きなもん書くしかねえな!”

“頑張ったら負け”

そんなお客さんの意見も交わしつつ、そっと手渡してくれたのは、出版社との企画で作ったという“豆本”。

 「6月2日」と書かれたその本。7ページしかないそれを開いてみると、つけられているのは彼女の日記。でも、その日記を通して受け取れるのは、半生に触れるような重量感のあるもの。

何でもない日常、産まれた娘二人との幸せな生活、癌による死別。家族でもない、まして他人でもない、そこにしかない“家族“のカタチ。

「自分のことを書いていくのが一番やり易いと思うよ、

私は自分の日記を元にして本を書くことが多いのね、

結局、あなたのとった写真の前後に経験した出来事は、それはあなただけが通った物なわけでしょう。

それを書き出していくしかないんじゃないのかな。」

文章がちからを持つとき、失う時。

ここ新宿、ゴールデン街。ここでは、そうやってどうにも“ふつう”に収まりきらない人が緩やかに想いをとどめる、そんな場所なのかもしれません。みんな行き詰まり、上り、下り、突破し、また行き止まり。けれどもどうにか生きて行こうとしている。そうやって今ここにしかないイノチを生きている。そうやって生きる者同士繋がっている。そこには正解はなくて、“底”なんて無いのだろう・・・。

 

悲しい顔をするでもなく、どうにかこうにか日々を生きて行く・・・。そうやって逃げ出さずに真正面から人生を生きた人の振動に、我々は共振する。

ほんの少し、人の心を動かす文章を書くひと、作品を残す人の在り方がわかったような気がしました。

§

そんなことを考えながらふと顔を上げると“ソーダ割りって、ハイボールのことですか?え、ちがう!?”なんてお客さんに聞いています。

いいんです、それで。そう思ったのでした。

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