趣味の旅行はホテルが目的│視点を変えると楽しみ方も変わる
先日、都内に住んでから初めて都内へ泊りがけの旅行をしました。
元々旅行をするのは好きで、友達とどこで何をするかわいわい話しながら決めるのも好きでしたが、大人になってからはひとりでふらっと気の向くまま旅行に行くことも。
私が思う旅行というものは、現地の有名な観光地に行ったり、おいしいものを食べたり、自然や街並みを満喫したり、イベントに行ったりとアクティブなこと。時には地方にいる友達に会いに行くことが目的の旅行もありました。
近場よりは遠くへ、目的はひとつではなく複数。普段の暮らしの中では見られないもの・体験できないことを求めて行くものであると思っていたので、近場で泊りがけなんて…という思いも強くあったのです。
でも、楽しみ方の視点を少しずらしたら近場でもとても充実した旅行になりました。
旅行のメインを観光からホテルにずらす
今回の旅行のメインはいつも思い描いていたような観光ではなくホテルです。
SNSで偶然見かけたホテルなのですが、そこの客室の広い浴室にある大きな窓から見える景色がとても素敵で印象に残ったのです。
普段の暮らしでは味わえないような開放感がそこにあるような気がして、自分の目でもいちど見てみたいと思いました。そして、なんといってもお風呂好きな私にとってはお風呂が広いのも魅力的。家のお風呂よりものんびりできそう。
たった1枚の浴室の写真に惚れこみ、私は予約のボタンを押しました。
そう、今回の旅行の目的はこのホテルの大きな窓のある浴室なのです。
当日、わくわくしながらホテルにチェックイン。
部屋に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、ガラス張りの浴室にある大きな窓から見える隅田川。
四角く大きな窓はまるで額縁のようで、そこに映る景色はさながらアート作品のよう。
川の水面に映る建物が風によってゆらゆらと形を変え、キラキラと映る建物の光。時間の移り変わりや見る角度によって変わる風景は窓に目を向ける度に違ったアートに変化しているようで、ずっと見ていても飽きません。
高級ホテルのような、広々とした居室に充実したアメニティ…という空間ではありませんでしたが、その大きな窓とそこから見える景色だけで私の心は十分に満たされました。
暮らしの中では非効率だと思うことも充実して感じる大人な時間
お風呂にのんびり入りながら窓の外の景色を眺めている時間はもちろん贅沢でしたが、それをいつまでも独り占めにできることと、誰にも邪魔されない、他の人に対して配慮しなくていいということが贅沢な感覚を底上げしているように思いました。
お風呂からあがったあとも、大きな窓枠に腰掛けて過ごしました。さすがただの窓枠、これっぽっちも座り心地は良くありません。
それでも、そこで本を読んだり、お茶を飲んだり、室内の明かりを消して夜景を見ながらぼーっとしたり。
いつもの暮らしの中では見ることのない景色を前に、その場所から離れることはできませんでした。
だんだんと車通りの少なくなっていく道路、暖色の明かりが増えたり減ったりする目の前の建物、たまに通る屋形船、波打つ水面…ギラギラうるさく主張する広告看板も、一定の時間が来ると静かに消灯することを知りました。
そんなものを眺めながら小声で歌ってみたり、物思いにふけってみたり、なんだか心が落ち着いてきたり。
普段スマホをいじりながらぼーっとしていると、時間を無駄にしてしまった…とがっかりしますが、この日は不思議とぼーっとしている時間が充実したものに思えます。
非効率な時間の過ごし方も悪くないのかも。
何もしないということを楽しむ、なんだか前よりも大人になったような気持にすらなります。
この日は、とても穏やかな夜でした。
いつもの趣味も視点が変わると違った楽しみ方が見つかるかも
今まで旅行をする際に、そこまでホテルで過ごす時間というものに焦点をあてて考えたことはありませんでした。
できたら温泉がついてるところがいいなぁとかは考えますが、あくまでも観光がメイン。
どこに行って何をするか、を重視していました。
でも、ホテルでしたいことをメインに旅行を考えると、あえて遠出しなくても楽しめる空間って近場にもたくさんあるような気がします。
「旅行とはこう楽しむものだ」という自分で勝手に作ってしまった固定観念みたいなものがあったことに初めて気が付くことができました。
もしかしたら旅行以外でも、どう楽しむかの視点をずらしたら今までとは違った楽しみ方ができるものって他にもあるのかもしれません。
新しく楽しい遊びをつくるのが上手な子供のように、自分の中にある固定観念を崩して新たな楽しみ方をふやしていきたいな。
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