大山登山、生と死を色濃く感じた日。㊦山登り趣味の初心者紀行4
休憩所が見えたため、屋根の中に潜り込み外を眺めますが、雨と風は止むどころか、弱まる気配すらありません。
一体どうしろと言うんだ。そしてあとどれぐらい下山に掛かるかも分からない。どうすればいい。
自分の中で問い続けるが、答えなんて出るはずがない。そんなこと自分に問うても前に進むしかないのだから。じゃあどう進むかしかないな、そう思い私は残しておいた最後の食事、ゼリーを3秒で全部飲み込む。
心なしか冷えている体が少し温まった気がする。
それでも前に進むしかない。それしか道はない。
首の脈が打ち肺の奥底から熱い吐息が漏れ始める、体中の血管という血管に血が送りこまれるのを感じる、鼓動は速くなり体の奥そこで急速に体力を燃やし始める。
そうして行く先に目を向けると、目の前の道を通るのは強風と豪雨と暗い闇、そこから先はよく見えない。視界がフードで狭まっているのか、それとも目が曇っているのか、暗い闇のせいなのか、それは分からない。考えもしていない。
決心した私はその中に飛び込む、先ほどよりも速いペースで降りていく、これ以上強まったらもう無理だと分かっているから。
そうして雨と風が体に打ち付ける。強風は体を揺らして崖へと誘い、雨は体温を奪って膝を震わせる。
しかし立ち止まってなんていられない。前に進むしかない、風も雨も、自然は私には合わせてなんかくれない、止まれと言ったって止まるはずがない、ここから逃れる唯一無二の方法は前に進むことだけ。
そうして一時間なのか、二時間なのか、どれぐらい時間が経ったのかは分からない。ただ前に進むことだけを考え足を進める、疲れたという考えすら頭のなかをよぎらない。
そうしていると鐘の鳴る音が聞こえる。神社が近いのかもしれない、あと少し。そうして冷たい空気を体の内側、奥底まで取り込み、足を前へ前へと運ぶ。
阿夫利神社到着、初心者は一気に気が抜けた。
階段が見えてきた。そこを登りきると、そこには行く途中で通った阿夫利神社がありました。
人がたくさん居る、「はぁ、何とか無事だった。本当に死ぬかと思った。」ここまで来た安心感のおかげで体中から力が抜けて、雨に打たれているにも関わらず焦点の定まらない目でぼっーと虚空を見つめます。
「あっ、ケーブルカー乗らなきゃ。」
雨が降ったせいで、ケーブルカーがめちゃくちゃ混んでいたため、すぐさま並びました。結構並んでいるなぁと思いつつ、並びます。前にいた大山が地元だという60代ほどの女性とお喋りをしながら、順番を待ちます。
この方は出身が福井県あたりでここに来る前は白山なんかによく登っていたらしいです。槍ヶ岳にも最近登ったという話を聞いたのですが、この時の僕はそれらの山の高さや厳しさなんてものも知りませんから、へぇ凄いですねなんていう世間話で終わってしまいました。
そうしてケーブルカーを待っていたのですがチケットが必要なようで、大抵の人は行きのさいに往復チケットを購入するため知らなかったのですが、帰りだけ乗車する方は気をつけてください。私は話している中でお喋りしていた方に教えてもらいました。
そいてケーブルカーに乗車して、ふもとまで降りるとその女性は息子夫婦と孫が迎えに来ていると言って駐車場に向かいました。私はこれからバスと電車を乗り継ぐため、ここでお別れしました。名前すら知らない方ですが、とても優しい人で大山にまた登ることがあれば会いたいなと思いました。
生きて帰れる喜び。登山・山登りで生と死を色濃く感じた日。
帰りの電車では全身がびしょびしょでとてつもなく寒かったですが、時期的には5月だったためそこまで体温は奪われませんでした。冬場の寒さや夏場のクーラーが効いていたら、寒さで体調を崩したことでしょう。
そんなびしょびしょになりながら揺られた帰りの電車では、最後はケーブルカーを使ってしまったなと思っていました。最後まで自分の足で降りられなかった。帰るまでが登山とはよく言ったものです。
私は自分の足で最後まで大山を下山することができませんでした。とても悔しい気持ちもありましたが、次は絶対に自分の足で最後まで降りてやるという想いも心の中に産まれました。
そして、そんな悔しい気持ち。それ以上に生きて家に帰れることに安堵しました。良かった。また暖かい布団で眠れると心の底から安心しました。その時に気づいたのです。
死を感じるからこそ、生も色濃く感じるのだなと。そうして私は眠りながら電車に揺られて家に帰りました。
<続く>
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