最後の大会、僕は泣いた。大人の今は趣味の水泳、スポーツ。前編
とある帰り道、中学生ぐらいの子たちが3人一緒に並びながら帰っていました。
服装はどうやら部活の帰り道のようで、今日も疲れたなぁというような話をしているのが聞こえてきました。
その話を聞いた時に、ふと中学生のころを思い出しました。
僕は中学生の時に水泳部に入っていました。大人になった今では趣味でやっており、水泳自体は小学生の時からやっています。
その頃は色々なスポーツをしていて。低学年ではサッカー。中学年ではバスケ。高学年では野球。
とは言ってもどのスポーツも部活として頑張っていたというよりは、遊びや趣味の延長線上のように始めてやっていた感覚が大きい気がします。
趣味や遊びの感覚で始めた水泳というスポーツ。
水泳もそんな遊びや趣味の感覚で始めたスポーツの1つでした。
僕は沖縄出身で、イメージとしては誰もが泳げる感じがするでしょうが。そんなことはありません。
そんな感じで水泳ができなかったため、親にスイミングスクールを勧められたのがキッカケです。
水泳は小学校2年生の頃からやっていて、最初の頃は、プールにぷかぷかと浮き輪みたいに漂っているのが気持ちよかったのを覚えていて。
大人になった今でも生活の中で、あの時の感覚を思い出します。
誰にも邪魔されずに、何ものにも影響を受けずに、水とだけコミュニケーションを取っている感覚です。
けれども、途中から全種目泳がないといけないと知り、それらの練習を始めるようになってからぷかぷか浮かんで遊びや趣味の感覚でいるだけではダメなようで。
水泳を辞めようと思ったこともありましたが、先生や親に引きとめられて、何とか続けていると全種目泳げるようになり。
自己ベストタイムを気にするようになったりして。
何やかんやで水泳を6年生までやっていました。
中学校生活からは競技として挑んだ水泳。
中学生になると偶然にも中学校が毎年のように、沖縄県大会で優勝している強豪の水泳部でした。
小学校から仲の良かった敬太と桂佑に誘われて入ってみると。
これまたかなり練習がキツイ。
体育館の武道場での合宿、マサトが夜更かしして怒られていました。
土曜日の午前と午後の二部練習、シモジが午後練習を逃げ出して笑いました。
牛乳と肉を食べる食事トレーニング、真面目なフミヤが珍しくキツそうでした。
知っていれば入らなかったのになぁと思いつつも、仲間が居たのと周りの大人に支えられたおかげで何とか続けられました。
そんな風にやっていると、環境やコーチのおかげで2年生では市・県大会共に優勝でき、3年生でも同じように優勝しました。
九州大会で感じた世の中の広さと誇り
しかし水泳は優勝した学校が九州大会に行けるわけではないのが面白いところです。
行けるのはそれぞれの競技で1と2位を取った個人やチームのみ。
2年生の時は400mフリーリレーという種目。自由形(クロール)を1人100m泳ぐ競技で行きました。
その時の有頂天具合は相当なもので、勝った瞬間に狂喜乱舞した記憶があります。
それから九州大会に挑みましたが。
九州の選手の速さはすさまじく、沖縄県勢で勝てるのも一握りです。
その時に世の中の広さを感じたのと、この大会に出られて誇らしい気持ちが芽生えました。
そんなこんなで大会も終わり、最後の夜は枕なげしたり、博多でラーメンを食べたりしました。
そして帰りの飛行機で、また行こう、と話したのを覚えています。
3年になってからの県大会前の激励会でも「九州大会に行く!」と確信をもって宣言しました。
<後編に続く>
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