小さな妹が教えてくれたこと

憧れだった犬との暮らし

小さいころからずっと犬を飼うことにあこがれていた私。
ご縁があって近所のブリーダーさんに声をかけていただき、念願だった犬を飼うことができました。
生まれたときから他の兄弟犬よりも小柄で、成犬になっても、ミニチュアダックスくらいの大きさしかありませんでした。
でも、そんな小さな体なんて関係ないくらいに毎日元気いっぱい。好き嫌いもなくご飯もモリモリ食べる子でした。
私の小さな妹です。

最初は動物を飼うことに反対していた父も、最初こそ嫌がるそぶりをしていましたが、1年もするとすっかりデレデレに。
中学に入学したばかりだった私は、初めての部活動に精を出していて、家にいる時間は長くありません。
そんな中でもお手やお座りを積極的に教えたり、庭を駆け回って一緒に遊んだり、ソファで一緒にお昼寝をしたりと楽しく過ごしていました。

でも、だんだんと飼う時に約束していた内容を守らないことが増えていきました。
疲れたから私はお散歩行きたくない。
部屋でひとりのんびりしたいからと、遊んでほしそうな態度を知らんふりして隣を通り過ぎる私…。
気付けば、お世話は母が行うことになっていました。

いつからか、自分が構いたい時だけ一生懸命に構って、都合が悪いときは見ないふり、聞こえないふり。
その態度が顕著に表れたのが、高校受験の勉強をしている真最中でした。

自分勝手に都合よく過ごす私

勉強に集中したい私は、同じ部屋にいても知らんふり。
短い前足をちょいちょいと動かし、遊んでとせがまれても「あっち行って」と言わんばかりに手で押して遠くへ追いやりました。
イヤホンで耳をふさぎ、顔は参考書とにらめっこしたまま冷たくあしらいう私。
そんな日が1か月くらい続いたころ、犬の体調がおかしくなってしまいました。

ソファに座って、いつも以上ににこにこ笑っていると思ったら、急にその場で粗相をしてしましました。
その最中も、本人はずっとにこにこ笑いながら、ただ一点をひたすら見つめています。
その視線は慌てる母の姿も私の姿もとらえてはいないようでした。

病院に連れて行って出た結果は、過剰なストレスでした。
他の家族はいつも通りに接していたので、原因は誰が見ても明確です。
私が散々無視した結果でした。

そのときになってハッと気づきました。
人間と犬、どこかで別のものだと線引きしていた自分がいたのです。
散々家族の一員だとか、私の妹だとか言っておきながら、犬にも心や感情があるということをしっかり認識できていなかったのです。
動物にだって嬉しい、悲しいの感情もあれば、もちろんストレスだって感じるのです。そんな単純で、ごく当たり前のことに気付けていませんでした。

酷いことをしていたのは私自身のはずなのに、涙が出てきて止まりませんでした。
「ごめんね、ごめんね…」
恐る恐る撫でる、そんな私の手を舐めてくれます。
小さな体以上の大きな優しさと温かさを感じました。

この日から、私はよく話しかけるようになりました。
「おはよう」「いってきます」
声をかける度反応してくれる愛犬。
名前を呼ぶと、とても喜んでくれます。
挨拶はもちろん、今日の出来事、やめてほしいこと、辛いこと、今度何するかの約束…いろんなことを話しました。

人と接するときと同じなのです。
都合が悪いことも、自分がしたいことも全て伝えればいいのです。
何故、相手が犬というだけで当たり前のことが抜けてしまったのでしょうか。

最初のうちこそ声に反応しているような感じでしたが、大学受験の勉強をすることには、立派に会話ができますと言えるくらいに、私の言葉を理解してくれるようになりました。

私の膝の上で寝ている彼女に「本取りに行かなきゃだからどいてくれる?」と聞けば、ゆっくりと起き上がり、膝の上から移動してくれます。
朝出かける前に「今夜は一緒に寝ようね」と約束をすれば、遅い時間になっても、父に怒られても、自分のハウスには戻らずに待っていてくれます。

話だけではなく質問もたくさんしました。
「お留守番中は何してたの?」
「明日は一緒に何しようか」
言葉はしゃべれなくても、いつも仕草や表情で一生懸命に返事をしてくれました。

前よりもお互いの心が通じ合っていると思っているのは、私だけじゃないよね。

上京してから一緒に過ごせる時間がグッと減ってしまったけれど、不思議と心は離れてしまった感じは全くありませんでした。
帰省した際は昔と同じように仲良く過ごす私たち。
ずっと一緒に過ごして行きたいと思いました。

知らないうちに、人、動物、植物…と切り分けて考えてしまっていたけれど、みんな一生懸命いろいろなことを感じ、考えながら生きていると思うのです。

自分のエゴだけで、どうせ言葉なんか理解しないよと決めつけていた私の目を覚まさせてくれたのは間違いなく私の愛犬、小さな妹でした。

今は自然と部屋で育てている植物に対しても「大きくなったね」とか「水やり忘れててごめんね」と話しかけている私がいます。
数日家を空ける際には、誰もいない部屋に対して「行ってくるね」といつも以上に声をかけてしまう私がいます。

ちょっと変なの、と思いながらも、話しかけ続けていればいつか応えてもらえるような気もするし、なんだか優しい気持ちになれるような気もします。
声をかけたいものって、もしかしたら私自身大切にしたい対象なのかもしれません。

そんな、大切に思えるものがこれからも増えていったらいいな。

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