普通の家族も普通じゃない家族も、それが“我が家のカタチ”

映画『浅田家!』を見ました。
公開前、それに先駆けて発売された映画雑誌のインタビュー記事を読んでいたとき、映画もまだ見ていないのに、思いがけず涙がこぼれたのです。
立ち読みしていたその雑誌を購入して大事に持ち帰り、映画も見終えた今、その涙のワケを、自分の心の奥深くを、丁寧に探ってみました。

映画の中に見た温かい家族の暮らし

アルバム

事実を基に構成されたこの物語の主人公は、三重県出身の実在する写真家。自身の家族が「なりたかったもの」に扮したコスプレ写真を収めた写真集『浅田家』で、写真界の芥川賞と言われている賞を受賞します。

映画の冒頭は、彼の父のお葬式のシーン。父が消防士のコスプレをしたときの写真を遺影として用意してきた彼に、兄が「(本当は消防士ではないのだから)その写真は使わんやろ、普通」と少し怒り気味に言うのですが、彼はこう返すのです。

「にいちゃん、普通って何なん?」

浅田家は、母が外で働き父が主夫をしていることを除けば、普段の暮らしはどこにでもいる普通の家族なのでしょうが、父がなりたかった消防士に、母がなりたかった極道の妻に、兄がなりたかったレーサーに…と、本気のコスプレを楽しみながら(兄は少し嫌々ながらも)、まだ写真家として先が見えていなかった彼の“撮りたいもの”のために、皆が全力で協力します。そんな浅田家の生活は、周囲から「変わっているね」と評されることもあるけれど、その家族の姿を可笑しく、そしてチャーミングに描いています。

私が読んだインタビュー記事では、そんな実在する家族の姿を「本当に仲が良い家族じゃなければ(コスプレなんて)できないだろうな」と言いながらも、こう捉えていることを伝えているのです。
「仲の良い家族もいれば、そうでない人たちもいる。だから浅田さん一家に対しても、仲の良い家族という感想は持つけど、それが良いとも悪いとも思わない」

家族がコンプレックスだった幼少期

夕景

私にとっての家族は、子どもの頃から少しのコンプレックスを含んだ存在です。
「ウチはほかの家族と少し違う」
「〇〇ちゃんのウチみたいな、あったかい家族ではない」
そういう認識でいました。
母はきょうだいが多かったので、夏休みやお正月には祖父母の家にたくさんの親戚家族が集まります。その家族たちの様子を見たり、学校の友達の家に遊びに行ってその暮らしを垣間見ては、姉がボソッと「ウチって、ヘンだよね」とつぶやくことが何度かあったことを今でも覚えています。ほかの家族の暮らしと比べやすい環境にあったことも影響していたのでしょう。姉にとっても、我が家は“普通じゃない”と感じる何かがあったようです。

我が家の場合は、生活の中で大きな心の傷が残るような酷い扱いを受けていたということはないし、両親に子どもへの愛情がまったくもって欠落していたというわけでもないとは思うので、私たち姉妹が子どもながらに感じていたこの“ヘン”という感覚をこの場で説明するのは難しいのですが、私にとって我が家での暮らしは、ときに“安心できる場所”ではないこともありました。

映画自体は、浅田家の生活の中に自然な温かさを感じられる好きなシーンがいっぱいあったし、全編通して感動する場面が多く泣きながら見たのですが、SNS上でつぶやかれる「私も家族写真を撮りたくなった」「今度は家族と見たいです」というような美しくも温かい多くの感想を目にすると、私自身はまったくそんな発想にならなかったことに気付きます。

そんな感想が抱けないのは「普通の人ならみんな持っている家族に対する愛情が持てないような、ヘンな家族の中で生活してきたからなのだ」と捉えてしまうであろう私の心の中をまるで最初から見透かしていたかのように、冒頭のインタビュー記事が、なんとも自然に、サラッとえぐってきたのだと思いました。映画の中で描かれる家族像を前に「ウチはこんなに温かい家族じゃなかった」と、悲観的に捉えなくてもいいように…。

“普通”の家族もそうではない家族も、良くも悪くもない

写真

周囲と比べてヘンな家族のことを“普通ではない悪いもの”と捉えて生活してきてしまったけれど、周囲と比較することも、良い・悪いをジャッジすることすら必要なくて、絶対的なものとしてそこに在るだけなのだと、ヘンな家族のことも、そこで生活してきた私自身のことも、ただそのままのものとして捉え直せばいいのだと、言われているような気がしました。

久しぶりに子どもの頃のアルバムを開いてみます。
父や母が撮りためてくれた、幼い私と姉の写真。
生まれたばかりの私へ贈る、母からのメッセージ。
丁寧な文字でこまめに書き記されている成長の過程。

我が家のカタチも
「良いものでも悪いものでもない」

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