蚊取り線香で実家の生活の優しい空気に触れる、夏の過ごし方

「そういえば、蚊取り線香ってあんまり見かけないな」
上京して早10年。こっちの夏は蚊取り線香の存在を感じないことに今更気付きました。
都内だと窓を開けるよりクーラーをつけて過ごす家庭が多いからでしょうか。
最後に嗅いだのはいつだっけ?と記憶を辿ります。確か…去年の夏だったと思います。
実家では毎年出番のある蚊取り線香。
だから、私にとって蚊取り線香の香りは夏の実家を思い出す懐かしいニオイなのです。

香りで思い出す夏の実家での暮らし

夏に帰省するのは決まってお盆の時期。
8月もあと半分。
「おかえり、疲れたでしょ」
重たかった荷物を持ってくれる母に対して「もう子供じゃないんだから自分で持てるよ」と思う反面、それについ甘える私。
気を張らず、等身大の自分でいられる環境にホッとします。

東北地方の私の実家。
17時も過ぎれば昼間の暑さは引き、窓を開けていると涼しい風が部屋に入ってきます。
風に合わせてひらひらとなびくレースのカーテン。
夕食前のこの時間、庭のウッドデッキに出てのんびり過ごすのが、私のお気に入り。
庭の草木や花を眺めたり、日が沈むにつれて淡い紫に染まっていく空を眺めたり。時間がゆったりと過ぎていきます。

まだ空き地が多かった頃にバーベキューをしたこと。
ウッドデッキのペンキの塗り直しをしたこと。
昔飼っていた愛犬のこと。
懐かしい思い出が浮かんできます。
そして、庭に出るときは蚊取り線香を焚くのが我が家のお決まりです。
ウッドデッキの上の蚊取り線香。
やわらかい風が香りを運んでいきます。

帰省時でも変わらない昔と同じ過ごし方の両親

同じく庭には草花の手入れに励む父の姿。
雑草を抜いたり、畑の野菜の剪定をしたり…
いつも庭がきれいに保たれているのは、間違いなく父のおかげです。
涼しくなるこの時間帯は庭いじりには絶好のタイミングなのです。

何度母に「虫に刺されるよ」と心配されても、半袖半ズボンで作業をする、毎年恒例の父の姿。
父が言うには、気になった時にすぐ草花の手入れをしたいから、服装まで気が回らないらしいのです。

そのおかげか、毎年食卓には父が育てた野菜が多く並びます。
「お父さんが作ったナスおっきいね!」
「皮は固いけど、甘くておいしいトマトだね」
買ってくるよりもおいしく感じる父の野菜。
今年は何を育てているのかな?それも帰省するときの私の楽しみのひとつになっているのです。

庭の風景、父の背中、空の色、かすかに聞こえる調理音、思い出の数々…そして蚊取り線香の香り。
決まって私は、夏がもうすぐ終わってしまうような気がして、ちょっぴり切ない気持ちになります。
この瞬間もいつかは思い出になるのでしょうか。

「もうすぐごはんできるよ」
母の声で父と2人で部屋に戻ります。
涼しい風が入ってくるので、窓は開けたまま。
蚊取り線香を部屋の窓際に置き直します。

今晩も私がリクエストしたおかずの数々がテーブルに並びます。
サラダのレタスを食べるとすかさず母が「このレタスもお父さんの作品なんだよね」と教えてくれ、その言葉にちょっとふんぞり返る父の姿に思わず笑みがこぼれてしまいます。

「明日の夜、最後には何が食べたい?」
あと数回一緒に食事をしたら、私はまた東京に戻らないといけないということを思い出します。
まだ帰りたくないなんてわがままをぐっと飲みこみ、母への問いの答えを考えます。
なかなか食べたいものが思いつかないのは、帰らなければいけないという現実への抵抗なのでしょうか。

ひとりで好きな時間に好きなものが食べられるのも好きだけど、一緒に食卓を囲んだ後はそれがとても寂しく思えてしまいます。

あぁ、もしかしたら蚊取り線香のニオイで感じていた終わりは、夏だけではないのかも、と思いました。
実家で過ごす、のんびりとした優しい時間の終わりも感じていたのかもしれません。
だから切なく感じるのでしょうか。

平凡な生活も、いつかは大切なものに

香りで思い出す内容って、もっと何か特別でキラキラした非日常な出来事ばかりだと思っていました。
こういう、何気ない日常も、いつの間にか私にとっては特別で大切にしたいことのひとつになっていたのかもしれません。
実家の温かさに後ろ髪をひかれつつも新幹線に乗り込みます。
疲れたときに帰る場所があるっていいな。
ちょっぴり寂しいけど、懐かしくて安心する空気に癒され、明日からまた頑張っていけそうな気がします。

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